美術検定への取り組み~コミュニケーション・ディレクター 佐藤尚之さん

更新日:1月25日

 こんにちは、美術検定協会です。2021年末に「美術検定1~3級オンライン試験」試験結果も受験者の方々に公開され(受験された皆様お疲れ様でした!)、新年を迎えた2022年。今回は長年広告業界で活躍され、この度美術検定1級に合格されたコミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之さんに、美術検定への取り組みと今後の抱負についてお話を伺いました。


―この度は美術検定1級合格おめでとうございます。今回あらためて、美術検定を受験しようと思ったきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。

 アートは感性で見るもの、という人もいるし、それも間違ってはいないと思うのですが、ある程度の基礎知識があるともっと楽しめるとは実感していて、いつかちゃんと美術史などの勉強をしてみたいとは思っていました。

 受験のきっかけは、約4年前、魚介類全般が出汁やエキスも含めて食べられなくなる“アニサキスアレルギー”という食物アレルギーに突然なってしまったことです。一番の趣味で、関連する本を何冊も出したりレストランガイドを主宰したりするほど生き甲斐にしていた「食」が、かなり不自由になってしまいました。もちろん野菜や肉は楽しめますが、日本人で魚を失うって、想像を越える辛さがあるんです。出汁までNGだと和食とかも食べられなくなりますからね、もう鬱みたいになりました。

 でも、いつまでもうじうじ落ちこんでいるわけにもいきません。「食」に代わる趣味はないだろうか、といろいろ探している中で、「アートはどうだろう?」って思うようになりました。アーティストになるのではなく、鑑賞者でも十分に趣味になり得るし、なにか新しい人生展開もあるのではないか、と。

 そこで、前から気になっていた「美術検定」にまずチャレンジしてみよう、と思いました。アートを趣味にするといっても漠然としているので、いったん体系づけて勉強しようと。その時点で特に美術史の知識はゼロに近かったので、1年目は4級と3級、2年目は2級と順番に美術検定にチャレンジしていき、そして3年目の2021年、1級に合格しました。勉強を始めて2年半かかりましたが、一夜漬けでない分、身になったかなと思います。


―ストレートで達成されて素晴らしいです!美術検定を受ける前から、アート鑑賞や美術館に通うといったことはされていたのでしょうか。


 海外、特にニューヨークに出張で行く機会が多かったのですが、その度に大好きなニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめ、多くの美術館には通っていました。ポロックの作品の前で3時間ほど座って眺めたり、また貯金を切り崩してウォーホルの作品を購入したりもしていました。なので、ルネサンスから近現代までの西洋美術に触れる機会はまあまああったと思いますが、体系だって理解するところまではいってなかったですね。

 日本美術についても、もともと古寺仏閣少年だったので仏像などは分かるのですが、日本画の流派などはまったく理解しておらず、知識が点として散在しているような感じでした。

今回美術検定を勉強してみて、4級や3級くらいまではまだ知識が点のままだったのですが、2級を合格した頃からでしょうか、点が線になっていく感じで、俯瞰的に美術史がみられるようになってきました。その線をつなげて全体像を把握することを意識しながら、1級にむけて勉強していましたね。


―1級は、2級までの美術史を問う問題とは違った問題が、しかも記述式も加わって出題されますが、どう思われましたか。またどのような試験対策をされていたのでしょうか。


 2級まではアートのことを広範囲に知るための試験ですが、1級は全く違う視点、アートをみせる側、展示・提供する側の視点に立って考える内容の試験ですよね。そこが美術検定のよいところだと思っています。みる側とみせる側、その両方の視点に立てるとアートの見方が大きく広がります。その視座を得ることができたことは、僕自身とてもよかったと思っています。

ただ、“みせる側の視点”の試験だとしても、ベースとしての美術史をちゃんと理解してないと、と思い、1級では直接的に美術史を問う問題は出題されないことは分かっていたのですが、問題集と公式テキストで2級までの範囲を何度か総復習しました。

 4級から2級までの3冊の問題集に掲載された問題を全部解けるようにし、公式テキスト2冊を再度読み直して、まずはしっかり基礎を固めました。何度も読むと“点が線”になるし、過去問題をみても美術史の知識があるに越したことない問題も出ていたので、それはやはりやっておいて良かったと思います。

 その上で、美術館側、アーティスト側の視点を理解するために、いろいろな本やウェブサイトを読みました。1級用の問題集は出ていないし、本番では小論文が大きな点数を占めるので、HPで公開されている過去問題で出題傾向を把握しながらいろんな視点を知っていった感じです。本では、『美術展の不都合な真実』『アートプロジェクト文化資本論-3331から東京ビエンナーレへ』『新型コロナはアートをどう変えるか』を読み、展覧会を運営する側の視点や、時代とアートの関係などを学びました。あとは『美術館と大学と市民がつくるソーシャルデザインプロジェクト』を読み、その本に書かれた東京都美術館のとびらプロジェクトに参加している友人に話を聞いたり、『シェアする美術 森美術館のSNSマーケティング戦略』なども読みました。そして最後に、一番堅苦しい(笑)美術検定公式テキストの『アートの裏側を知るキーワード』で網羅的にいろんな視点を学んだ、という感じでしょうか。



 他にも、時事的な問題も出題されるので、現状を知るための対策として「美術手帖」を定期購読したり、ネット上で美術館長がインタビューされたりしている記事を探して読んだり、いろいろやりました。本業が忙しい中だったので苦痛な時期もありましたが、成人してから本業以外で体系的な勉強をすることがなかったので、新鮮な“知の歓び”はありました。

 それともうひとつ、らちさんというアートテラーの方がやっている「そんない美術の時間」というpodcast番組を、ランニングしながらよく聴いていました。目で読むのと声で聴くのではたぶん脳の回路が違うのでしょうね、頭の整理にとても役立ちました。


―広告の世界で長年活躍されている佐藤さんですが、今後アートナビゲーターとして、美術館などアートをみる環境をこのようにしていきたい、といった思いはありますか。


 そう、1級に受かると“アートナビゲーター”って名乗れるんですよね。でも、知れば知るほど、アートの知識はもちろん、実際の美術館の事情なども知らないことだらけだと分かってくるので、ちょっと恥ずかしくて名乗れないですね(笑)

 それを前提に勝手なお話をさせていただくと、例えば広告の世界だと、かつてはテレビにインパクトのある広告を出せば誰もが知ることができる、という時代も確かにありました。でも今はメディアが多様化し、情報の量もコンテンツの量も過剰に提供されるようになりました。

 例えば、YouTubeだけで1日に82年分の動画がアップされるんです。びっくりしませんか? YouTube1日分を見終わるのに82年、2日分で164年かかるという。それにプラスして、Netflixなどの有料動画やTikTokなどもあり、もちろんテレビも映画もあるわけです。そう、コンテンツやエンタメが過剰に供給されているのが今なんですね。広告はそれと闘わないといけない、その危機感が広告マンの前提としてあるわけです。生半可では勝てません。

 美術館もある意味メディアだし、コンテンツやエンタメを提供している側ですよね。つまり、美術館もそれら無限に提供されている優れたコンテンツやエンタメと同じ地平に立って、お客さんの貴重な時間をいただき、わざわざ美術館に来てもらって、見てもらわないといけないわけです。そのシビアさを、美術館の方々はどのくらい認識されているのだろう、と思います。

 「いい企画展示をすればお客さんが来てくれる」という時代は、もう終わりました。お客さん側からすると、“いい美術展”も、世界中から無数に提供される“優れたコンテンツ”も、同じく「自分の時間を豊かにしてくれるもの」で、フラットに比較して選択します。それが、コンテンツやエンタメが過剰に提供されている時代の現実だと思います。


―たしかに観客側からすれば、美術展も他のコンテンツやエンタメと同じ「自分の時間を使う」ものですね。そのような時代に、美術館はどのような思考の転換が必要でしょうか。


 美術館側はどこかで、“アートは特別”と思っているのではないでしょうか。作品の実物をみればその素晴らしさが分かるだろう、教養もつくし感動もするだろう、と、余裕をもっていないでしょうか。コンテンツが少なかった時代はそれでもよかったかもしれませんが、いまや時代は変わりました。このままではアートの世界はジリ貧だと思います。その上、ちょっと堅苦しいし敷居も高い。学校教育の「美術」の授業のような、辛気くさいイメージも残っている。それではお客さんに選ばれません。

 美術展は、企画の最初から実施まで、本当に大変な業務の連続とは理解しています。でもライバルが無数にいるこの時代、「どうやってお客さんに選ばれるか」を含めて「企画」を考えないと、自己満足に終わってしまう場合も多いのではないでしょうか。そういう意味において、「もっと知ってもらう努力」はもちろん、競争が激しい中で「お客さんに選ばれる展示にする努力」も根本的に考え直さないといけないと思うし、「アート界全体をもっと魅力的に見せる努力」も必要かと思います。今のままだと、どこか“お勉強感”が漂うので、優れたエンタメと闘って勝てる気はしないですね。いや、もちろんそういうエンタメとは別物の魅力があるのは分かっているのですが、「お客さんが時間を使う」という意味で、同じ地平で闘えていない気がします。


―佐藤さんは、ファンをベースにして中長期的に売上や価値を上げていく考え方「ファンベース」を提唱されていますが、アートの世界でも、例えば美術館が「ファンベース」でファンを広げ、価値を上げていくといったことはできそうでしょうか。


たしかに、美術館は「ファンベース」に向いていると思います。まずは、ファンベースを超手短に説明しますね。

 これは美術館の世界にも確実に当てはまると思うのですが、ビジネスの世界では、実は2割のファンが売上の8割を支えているんですね。これを“パレートの法則”といい、ほとんどのジャンルで当てはまる経験則です。いままでは「新規顧客をどう取るか」ばかりに血道を上げてきたわけですが、実はファンこそが売上を支えている、ということです。   だから美術館においても、まずはその“売上を支えてくれているファン”を大切にして、このライバルが多い過酷な時代での売上を安定させましょう、そうするとファンが通ってくれる回数も増え、じわじわと売上も上がりますよ、という考え方がファンベースの基本になります。

「ファンベース」を紹介する佐藤尚之さんの書籍

『ファンベース』 (ちくま新書)(左)/『ファンベースなひとたち』(日経BP)(右)


 その上、ファンをより大切にして喜ばせると、ファンが友人など新規のお客さんも連れてきてくれます。つまり、ファンを大切にすると新規顧客も増えるわけですね。そういうアプローチをベースとして続けつつ、先に述べたような「企画の改善」や「アート界全体の魅力アップ」に取り組む、みたいな複合的な方策が必要になってくると思います。

 平たくまとめると、いままでは「どうやって新規のお客さんに来てもらおう」と考えていたわけですが、このコンテンツが過剰に多い現代では、それはそう簡単ではありません。それよりもまず、目の前にいる“美術館のファン”をもっともっと大切にしませんか、交流も増やしませんか、そうすると売上もちゃんとついてきますよ、ということです。もちろん美術館のファンを楽しませるプログラムを用意されているところも多いと思いますが、まだまだ足りないのではないかと思っています。


―美術館だけでなく、他にもアーティストの支援などに「ファンベース」を実践できそうですね。


 そうですね、ファンベースはアーティストにも効果的ですね。アーティストのファンを可視化し大切にしていくことで、アーティストももっと食べられるようになるのではないか、ということです。このことは「アート界全体の魅力アップ」に直結してくると思いますし、特に現代アートは時代や社会と密接につながっているので、アーティストと身近に触れ合う機会があれば、社会の中でその裾野も広がりアートをみる切り口も増えていくと思っています。


 まだいろいろ知らないことも多いので偉そうなことは言えないのですが、せっかく美術検定1級を取得したので、アート界全体でもっともっと「ファン」に注目していくことのお手伝いができたら、と思っています。そうやって、なにかしらアート界の盛り上げに貢献できたらとてもうれしいですね。


―お忙しいところありがとうございました。佐藤さんがアートにかかわられることで、アートの世界に変革が起きそうです!これからの佐藤さんのご活躍に期待しています。



取材・文/高橋紀子(美術検定協会・編集チーム)

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